だいたいのことはひとりでも楽しい

一番大切にしていることは「精神衛生」です。

出産しない女たち [m]otherhood 〜書き起こし〜 3/3

|後悔|

 

ルイサ

 

私には娘がいます。18で妊娠して、19で産んだ子です。

本当は産みたくなかった。妊娠も母親になることも想定外でした。

でも、当時の彼と母に産むように言われたんです。

自分より、2人の気持ちを優先しました。

 

母には、楽しんだのなら、その結果をちゃんと受け入れなさい、と言われました。

Sexをした代償を払うようなものでしたね。

よく分からないけど、そんな感じ。

 

始めのうちは、いい母親になりたくて、全力で取り組みました。

向こう水な行いの償いをしたかったから、必死でした。

おばさんが着るような服を着て、好きなことを全部やめたんです。

外出もゲームもやめました。認めてもらうために、大人の女性のふりをしたんです。

できればこの現実を変えたかった。母親にはなりたくありませんでした。

 

パートナーから酷い扱いを受けたり、不幸せだったりしたら別れればいい。

仕事が嫌なら辞めても構わない。

でも、母親になったら、引き返すわけにはいかないんです。

 

傷跡のように、一生付いて回ります。

たくさんの不安やプレッシャーに苦しみましたが、仕方がありません。

みんなが幸せになるのは、無理なんです。

 

最初の数年間、私は100%母親でした。

でも、勉強に時間を取られるようになって、母親の役割を縮小せざるを得なくなりました。

それで私は、自分のアイデンティティを取り返したんです。

私はネット上で発言するようになりました。

感じたことを率直に表現しました。

母親であることについて疑問を投げかけると、一部の人が激しく反応しました。

ほとんど個人攻撃ばかりです。

私が娘を愛していない、いつか娘に危害を加えるに違いない、と決めつけていました。

あの人たちには分からないんです。

当事者ではないし、私と同じ経験をしたわけではないんですから。

子供は愛しているけれど、縛りつけられるのは嫌だということが、理解できないんです。

 

イラティ・フェルナンデ(ソーシャル・エデュケーター)

 

母親になるのは、この上なくロマンティックな体験で、幸福と満足に満ち溢れているかのように思われています。

でも、現実はそうではありません。

全てを投げ出してしまいたくなることもありますし、決断が正しかったのか疑問を抱くこともあります。

でも、口には出しません。タブーだからです。

 

オルナ・ドーナト(社会学者)

 

もし、人生をやり直すことができたら、子供は産まなかった、という人たちがいます。

産んだことは間違いだったと。

理由として彼女たちが挙げるのは、まず、母親になることに伴う責任の重さです。

自分の時間がなくなること、母親になる前の自分が失われることもそうです。

誰かに依存されるという人間関係が、この人たちには耐え難いことなんだと思います。

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

母親を聖母のように神格化するのは、もうやめにしたいですね。

そんな単純な話ではないんです。

子育てに本当に成功したと言える母親は、ほんのひと握りなんですから。

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

人口問題の専門家S・エモットは、著書の中で熱弁しています

「2025年までに人口は100億人に達し、資源が不足する」

 

彼は この学術論文を シンプルな言葉で締めくくりました

「これはやばい」

子供を1人産むと、あなたの二酸化炭素排出量は20倍になるそうです

 

誇らしくなりましたが、検索に使ったのは希少金属満載のiPad

 

イルカに優しくないマグロも食べてる・・・これはウソです (笑)

 

 

|良心|

 

アウドレイ

 

環境に配慮している人たちは、資源リサイクルを始めとしていろんな活動をしていますが、

そういう人たちが子供を連れているのを見ると、一番にやるべきなのは子供を作らないことなのに

と言いたくなります。

現在の社会は、全くサスティナブルではありません。

今のような消費活動を続けたら、地球があと3つ必要になるとよく言われますよね。

 

自分の時間を好きなことに使ったり、仕事のために費やしたり、子供は持たないと決めたりするのは、

決して利己的なことではないと思います。

子供がいる人のことは尊重しますが、子供を作るという決断こそ、利己的ではないでしょうか。

 

究極の愛の行為だ、人生で一番大事なことだ、と言いますが、

私に言わせれば、ほらやっぱりって感じです。

人生で一番大事なこと。

それがまさにわがままなんです。そこを理解して欲しいですね。

 

ーーー 昔のモノクロテレビの放送 ーーー

 

” この国は 混み合ってきました。

合衆国の人口は過去最大になり、11秒ごとに国民が増えています ”

 

 

イラティ・フェルナンデ(ソーシャル・エデュケーター)

 

子供を作ろうとしないのは、身勝手とみなされるようです。

人口は多すぎるのに。

 

コリーヌ・マイヤー(作家)

 

みんな内心、これ以上子供は要らないと思っています。

世界の人口は100億に向かっているのですから。

でも、正直に言いますが、私にも子供が2人いるんです。

私も、自己中心的な人間の1人です。

 

イラティ・フェルナンデ(ソーシャル・エデュケーター)

 

自分の子供を持つのは、ある意味、利己的なことです。

対照的に、養子をとるのは寛大な行為です。

 

アナ・マラデス(法学博士)

 

男の子でも女の子でも、養子をもらう決断をするのは簡単なことではありません。

一言で言えば、究極の利他的行為です。

 

アウドレイ

 

私は今、公共の財団で広報の仕事をしています。

この仕事はとても気に入っています。

社会的な側面もあって、例えば大きな壁面をデザインしたり、アートフェスティバルを企画することもあります。

仕事の大部分は、社会的に排除されがちな人や、小学生、中学生のためにワークショップを企画することです。

 

35歳の時に、不妊手術を受けました。4年ちょっと経ちます。

国の医療保険で無料で受けました。卵管を塞ぐ手術です。

初めて病院へ行った時は緊張しました。

女性の不妊手術を拒否する医師もいると聞いていたので、断られるんじゃないかと心配だったんです。

子供もいませんでしたし、健康上の理由もありませんでしたから。

 

ーーー アウドレイと男性パートナーとの自宅 ーーー

 

私たちは一緒になってまだそれほど長くはありません。

彼には、割と気軽に不妊手術を受けると伝えました。

私の考えを知っていたので、ショックを受けないことは分かっていました。

病院に付き添ってくれて、手術室に入る前にこう言いました。

「これまで言わなかったけど、君の体なんだから、僕の意見は聞かなくていいんだよ」

優しい言葉だと思いました。

 

子供を産まないもう一つの理由は、母親になることが、女性を縛り付けていると分かったからです。

私にとって、不妊手術は自分に力を与える一つの方法、自分の体をコントロールする手段なんです。

 

リナ・メルアネ(作家)

 

現代の資本主義は、子供を一大産業としています。

市場には、子供が必ずしも必要としないものがあふれています。

親は、子供に物を買い与えよというプレシャーをかけられて、結果的に資本主義の餌食となっています。

 

人口を抑制すべきだと思います。

人間は、地球や他の動物にとって最悪の存在です。

子供を産む人が減っても劇的な変化はないでしょうが、多少は状況が改善するかもしれません。

余分な資源を使って、大量のゴミを出していますから。

1人でも少ない方がいいんです。

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

「やってみないと分からないよ」

人はよく そう言います

 

私は馬の肉を食べたことも トランプ大統領と結婚したこともない

 

でも「やってみないと分からない」と言われても 試す気にはなれません

 

「将来 誰に面倒をみてもらうの?」と言われることもあります

 

子供に無給の介護士の役目を期待できるんですね

 

年とった私の面倒を見ようという熱意は

保守党の政府並みでしょうけど

 

「あなたなら すてきなお母さんになれるのに」というのもあります

 

無神経ですよね

子供が産めない人もいるんです

 

死期が迫った人にこう言うんでしょうか?

「あら あなたならすてきな老人になれるのに」

 

ーー ケイトの自宅 ーー

 

詩人は時に、若者向けのワークショップを開くことがあります。

私の場合、始め、子供が好きじゃないから、楽しめそうにないなと思っていました。

でも、いざやってみると、とても不思議な素晴らしい体験でした。

驚いたことに、子供たち、中でも10歳以上の子供たちとの作業がとても楽しかったんです。

 

中にはお気に入りの子もいて、教えることを楽しみました。

詩は自分を表現し、物事について深く考え、目の前に敷かれたレールの上を歩かなくてもいいんだと

気づかせてくれる、素晴らしい道具なんです。

 

ーーー 子供達とのワークショップの様子 ーーー

 

” 「自由」という言葉を考えてみて

 どんな音を聞いたら自由を思い出すかな?

私の場合は 飛行機が飛び立つ音を聞いたとき ”

 

生徒

「自由ってサルの赤ちゃんみたい」

 

一同 笑

 

ケイト

笑「いいね」

 

生徒

「空を見た時とか」

 

 

人間はこんなにも多様なのに、私たちはいつも分類されてレッテルを貼られ、

こうあるべきだとプレッシャーをかけられます。

母親になれ、というのもそのひとつです。

まるで、人生の最大の目的が子供を作ることみたいに。

 

人類や世界に貢献する方法は、たくさんあると思います。

子供を産むことが、一番いいとは限りません。

一部の人にとってはそうかもしれませんが、私にとっては違います。

 

 

ナレーション

社会はなぜ、子供を持とうとしない私たちを、これほどまでに恐れているんでしょう。

 

 

・女性の声

私は、母性を否定したり、母親になることに反対するプロパガンダ運動を行なっているわけではありません。

出産に反対しているわけではないんです。

もっと多くの女性が、自分の人生を生きられるようにと訴えたいのです。

 

自分の体、自分の考え、感情、決断、空想、夢。

 

その全てを自分のものにできるように。

女性たちにどうすべきか指示するつもりはありません。

 

・女性の声

問題は、理由もわからないのに子供を産む必要があるのか、ということです。

 

子供を産むかどうか、それには、強い外圧が無意識に働きます。

本当に自由な選択の結果だったかどうか、確信するのは難しいですね。

 

・女性の声

社会は、人の手によって作られたものなので、他のかたちにすることも可能です。

全く別の世界を目指すこともできます。

 

・女性の声

子供を作る前に、自分たちがどんな社会を望むのか、なぜ子供が欲しいのかを考えるべきなんです。

出産ストライキもひとつの方法です。

 

マリベル

女性は生殖機能を持っていますが、それは必ずしも必要なものではありません。

私たちは、女性である前に、まず人間なんです。

私は何も後悔していません。

 

サラ・フィッシャー

写真家の仕事が好きです。子供のためにはなんでもします。

でも、自分の夢を実現できなければ幸福とは言えません。

母親が幸せでなければ、子供も幸せになれないと思います。

 

ルイサ

人は、私の物語を知りません。

外側だけで、私という人間を判断します。

デザインしたり、物を作ったりすることで救われるような気がしています。

私には、本当に好きなものがあるんです。

 

・女性の声

子供が欲しい女性は産むべきです。

でも、望んでいない女性が、なぜ子供を産まなければいけないのでしょうか。

 

 

出産しない女たち [m]otherhood 〜書き起こし〜 2/3

オルナ・ドーナト(社会学者)

 

子供のいない女性は孤独で、一緒にいるのは猫だけ。

通りで野良猫にエサをやり、夜になるとひとり、リビングで暗闇の中で座っている。

そんな惨めな生活を送っている、ということになっています。

もちろん、そういう人もいるかもしれません。否定はしません。

でも、母親になりたくない女性の全てがそうなるわけではありません。

もしこれが、子供のいない女性の唯一のイメージだとしたら、

若い女性は将来に恐怖を感じるかもしれませんね。

 

ヘマ・カノバス(臨床心理学者)

 

母親になることで女性として完成するわけではありません。

女性という存在を円で表したとき、母親であることはそのごく一部を占めているに過ぎないのです。

 

サラ・ディール(作家)

 

社会からのプレッシャーは、女性に害を及ぼしています。

自分で自分を見張るようになってしまうのです。

父親も夫も、何も言っていないのに。

私は他人に優しくできないし、子どども欲しくない。

きっとどこかおかしいんだと、思い込まされているんです。

 

リナ・メルアネ(作家)

 

オリンピックのメダリストになりたくないなら、なる必要はありません。

能力や才能があって、子供の頃から十分に訓練を積めば、

ラソンや体操のメダリストになれるかもしれません。

でも、それを望んでいない場合もあります。

母親になるのも同じです。私には、出産や育児をする生物学的能力があって、

もしかしたら素晴らしい母親になるかもしれません。

でも、母親となる人生を望まないのに、産む必要があるでしょうか。

 

ーーー スポーツのモノクロ映像 ーーー

 

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

子供が欲しくない人が よく耳にする言葉があります

一番多いのは「そのうち気が変わるよ」

 

ささいな事なら 何の問題もありません

食事をしていて 私が 「デザートは要らない」と言ったとき

「気が変わるよ」と言われるならいい

 

でも、子供を作るかどうかなんて 他人に分かるはずがありません

 

子供が欲しくない女性の半数は 昔から そう考えていたそうです

私もその1人で 小さいころから ずっとそう思っていました

 

ーーー ケイトの自宅 ーーー

 

30を過ぎてから、自分にこう問いかけるようになりました。

 

私には何か足りないの?どこか欠けているところがあるの?

足りない部分を補う必要があるの?

 

そして、ハッと気づいたんです。女性は母親になるべきだ、というプレッシャーが原因なんだと。

もっと大勢の人が、堂々と声を上げるべきだと思います。

私には足りないところなんかない!何も欠けてはいない!

他の人と違うかもしれないけれど、みんながそれぞれいろんな風に違っていて、それでいいんだ、って。

 

ーーー 再び、ステージ上で話すケイト ーーー

 

私は 生物学的時計(バイオロジカル・クロック)を持っていないようです

子供を欲しがらないのは 自然でない 悪いことなのでしょうか?

 

ないろんは自然のものではありません

油で揚げたチョコレートバーも

ホーキング博士の声も

 

でも 悪いものではありません

 

 

 

|本能|

 

マリベル

 

1985年から助産師をしています。もう33年になりますね。

私の母は40歳で妊娠しました。

当時私は15歳でした。母に、出産に立ち会いたいと言いました。

その日が来て、弟が生まれると、助産師さんに赤ちゃんの面倒をみるように、と言われました。

ただ、見ていただけじゃなく、参加したんです。

その時、私は助産師になろうと心に決めました。

 

この仕事には、とても満足しています。

今も感動しますし、状況によっては緊張もします。

人生の大事なプロセスに立ち会っていると考えただけで、満足感と幸せを感じるんです。

 

ーーー 出産シーン ーーー

 

マリベル

 

親になる人たちは、どんな未来が待っているのか分かっているのでしょうか。

多分、分かっていないと思います。

大抵のカップルは、期待を抱いています。

でも、それが幻想に基づくものだと、後で不満を感じることも多くなります。

 

ーーー 羊の放牧風景 ーーー

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

「母性本能」という概念は、人類最大の欺瞞だと思います。

 

人間の女性と、動物のメスを完全に一緒にしてしまっています。

馬鹿げてますね。

 

女性は動物ではあっても、他の生き物とは違います。

 

 

女性のナレーション

 

今でも、25歳くらいになると、女性は子供を産むかどうかではなく、

「いつ産むべきか」を悩むようになります。

子供を産むのは義務だと考えているからです。

社会から受けるプレッシャーを、私たち女性は溜め込んで、

それを母性本能かのように認識するんです。

 

 

ーーー 国立バレンシア看護学校 ーーー

 

マリベル

 

「今日は最後の授業です。長い講義でした。試験の後でアンケートに記入してください」

 

私は子供は欲しいとは思いませんでした。

全ての人が、同じ役割を果たすために生まれてくるわけではありません。

母親になる人もいれば、研究してガンの治療法を見つける人もいます。

 

私は10代の頃から、子供を産むのは自分の役割ではないと思っていました。

 

子供がいないのはハンディキャップでした。

例えば、妊婦の母親に言われたことがあります。

「あなたには子供がいないから、うちの娘の気持ちなんか分からないでしょ」

 

ガンにならないと、ガンの名医にはなれないんでしょうか。

そんなことはありませんよね。

 

ーーー マリベルと男性パートナーが歩いているシーン ーーー

 

彼と一緒になって22年になりますが、子供を持とうと思ったことはありません。

私にはその気はなかったし、彼にはすでに子供がいたので。

これが私の人生。幸せな人生です。

人はそれぞれ、自分の人生のレシピを持っているんです。

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

女性の歴史を見れば、よく分かります。

私たちがどれほど、社会や文化や環境の制約に縛られているのか。

 

18世紀のフランスでは、母親は産んだばかりの子供を自分のそばに置きませんでした。

出産から1日か2日で、乳母に託していたのです。

ブルジョア階級や上流貴族の女性にとって、自分の子供に乳をやるというのは嫌悪すべきことでした。

私は乳牛ではない、という考えが根底にあったのです。

 

決して子供が無理やり母親から奪われた、ということではありません。

女性が、当時の社会によってそのように条件づけられていたのです。

それで私は理解しました。もし、人間が母性本能を持っているとしても、

それはさほど、強いものではないのだと。

 

マリベル

 

母親は、赤ん坊を守り、世話をする本能を持っています。

全ての哺乳類に備わっているものです。

人間が他の動物と違うのは、学習が必要だということです。

赤ん坊に乳を飲ませて、服を着せて、体を洗って、抱っこする方法を教えなくてはならない哺乳類は、

私の知る限り、人間だけです。

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

世界幸福度調査によると、親の幸福度は子供が生まれた直後に急降下

子供が家を出ると急上昇

 

単なる偶然ですよね?

 

 

|抑圧|

 

サラ

 

私たちは、母親になると幸せを感じるよう、社会に期待されています。

子供を持てたことに感謝するのが当然で、不平を言うことは許されません。

母親であることのマイナス面を口にすると、頭がおかしいと思われるのです。

 

ーーー サラが出演したテレビの画面を、サラ自身が自宅で観ている ーーー

 

アナウンサー

” 『母親にならなければよかった』

 サラ・フィッシャーの著書です。

 母親になったことを後悔し、父親になりたかったと書いています。

 ようこそ サラ ”

 

サラ語り

 

私が、「母親にならなければよかった」というタイトルの本を出版した時、

全く知らない人に脅されたのには驚きました。

街で会ったら殺してやるとか、殴ってやるとか、子供を持つ資格はないとか。

最初の1年間はあまりにも酷かったので、他の国に引っ越そうかと考えたほどです。

 

娘のことは、もちろん愛しています。

残念でならないのは、母親である、自分の今の状況です。

そんなに理解できないことではないと思うんですが。

 

娘が生まれるまで、私は写真家として活動していました。

様々な国を訪れて写真を撮り、その写真を使ってライブショーをするんです。

1年のうち半分以上は旅をしていました。

娘が生まれてからも、最初の2年は仕事を続けました。

手のかかる子供ではありませんでしたが、子供を連れての旅というのは

とてもストレスが多いものです。

それでライブショーをやめました。

娘がいたから、別の仕事に就くことにしたんです。

 

 

リナ・メルアネ(作家)

 

母性の問題は、進歩もありましたが、後退もありました。

 

歴史的に見れば、女性がより自由になれた瞬間はありました。

ほとんどは、社会が女性を必要とした時期。

つまり、戦争、革命、経済危機などの時です。

ただ、その時期が終わると、女性はまた家の中へ追いやられました。

女性を家庭に引き戻す理由は、常に子供です。

 

ーーー 昔の映像。夫婦と幼児1人の家庭の様子 ーーー

 

ターナー夫人の生活は変わりました。妻と母親の役割を果たす一方で、公人である夫もサポートします ”

 

サラ・ディール(作家)

 

社会がこれまで通りに機能するよう、女性は圧力をかけられています。

女性に子育てや夫の世話を、無償で行うことを期待しているんです。

もちろん、男性にはそんなことは求められません。

他人の世話をしたり、奉仕する仕事は女性を資源として使えばいい、というわけです。

男性は外の世界に出ていって自立して働き、女性はそれを支えろと言うんです。

 

アナ・マラデス(法学博士)

 

国家は、国民全てに自分の持ち場に着いて欲しいと考えています。

国が望む場所に、女性を配置する最もいい方法は、母性を称賛することです。

 

サラ・ディール(作家)

 

社会全体による子育てという考え方は重要です。

母親だけでなく、大勢で子供の面倒をみるのです。

カナダでは、新しい法律によって、最大4人が子供の法的な親になることができるようになりました。

親子の絆を築けないのではと懸念するかもしれませんが、実際には、絆を結べる親の数が増えることになります。

 

サラ・フィッシャー

 

私が仕事で家を離れ、夫が娘の面倒をみていると、よくこう聞かれるそうです。

「奥さんがいなくて大丈夫?娘さんの面倒をちゃんとみられる?あなたは仕事をしないの?」

 

物事を決めつけ過ぎています。

母親はどうやっても、認めてはもらえません。

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

保守派のカトリック団体、ラ・レイチェリーヌは、

母乳による育児を望まない女性は、モンスターだ、という考えを広めています。

最初は少人数のグループでしたが、徐々に莫大な数の人々がその主張を支持するようになりました。

 

神の意思に基づく、エコロジカルな育児運動だそうですが、

正しい子育てをしたいと考える若い母親たちに、甚大な影響をもたらしています。

 

これは、女性を家に閉じ込める巧妙な手法なのです。

新しさを装って、その実は私たちを中世へと送り返そうとしています。

とても容認できるものではありません。

 

サラ・フィッシャー

 

期待されるのはいつも母親です。

うちも娘の世話は、全て私の仕事。

寒くないように暖かい服を着せるのも、病気になれば医者に連れて行くのも、私の役目です。

もちろん幼稚園の送り迎えも、母親がすることが当たり前になっています。

夫に全部を期待する人は、誰もいません。

母親は、1日24時間365日、子供につきっきりです。

それなのに、人は母親のしていることを評価せずに、欠点ばかり指摘します。

だから、父親になる方が楽だと、私は思うんです。

 

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

私と夫に 家族からのプレッシャーはありませんでした

2人とも 物書きだったので、麻薬にさえ手を出さなければいいと思ったんでしょう

それ以上はオマケみたいなもの

 

でも 社会的なプレッシャーは確かに存在します

特に女性に対しては

出産しない女たち [m]otherhood 〜書き起こし〜 1/3

以前、このブログにも書いたことがある「母性本能がない」という内容に関連して、たまたま録画したドキュメンタリー番組が、それに関連して興味深かったので記録しておくことにしました。

 

他の、同じような「出産しない女たち」が、もしこの番組を見たかったのに見逃していたとしたら、文字だけではありますがご覧ください。

ただ、読んで、気分が悪くなる、精神が不安定になる、ということもあるかもしれないので、留意していただきたいと思います。

 

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出産しない女たち  [m]otherhood 

制作 SUICAfilms/A Media(スペイン 2018年)

NHK-Eテレ 2022107日(金)23時放送

 

ーーー ケイトのステージ。観客から歓声 ーーー

 

【今日のテーマは「子供は欲しくない」です】

 

 

子供は欲しくないと、ずっと思っていたわけじゃありません。

欲しいと思ったことが一度もなかっただけ。

この違い分かります?

 

ーーー ケイトのステージ ーーー

 

現代に生まれてラッキーだったと思います

100年前に生まれていたら

私の選択肢は たぶん2つだけ

「森の奥のお菓子の家で寂しく暮らすおばあさん」か「修道女」

 

修道女になっていたら悲惨でした

まず 早起きが苦手

 

ー 会場 笑

 

神様を信じてない

神父さんに弱い

 

ー ケイト語り

生きていて、本当に良かったと思います。

長い間、自分の中に信念を見出すことができなかったんです。

私はここにいていいんだ、この世界に存在していていいんだと思えるようになるまで

ずいぶん時間がかかりました。

 

 

|子供がいない女性|

 

 ケイト(コメディアン/詩人)

 

女性に求められる大きな役割の一つが 母親 です。

面倒見が良くて 子供がいることを幸せだと思う母親。

これは母親にとって 大変なプレッシャーです。

同時に、母親になりたくない女性にとってもプレシャーになっています。

母親にならないと 女性として劣っていて 不自然で 愛情が足りなくて 感じも良くない。

いい人間とは言えず、社会への貢献も足りないと思われます。

女性として生まれたことを無駄にしているとみなされてしまうんです。

 

これは1960年代の話ですが、一般の人に、子供を欲しがらない女性、または子供のいない女性を

3つの単語で表現してもらうと、出てきた言葉は「幼稚」「自己愛」「神経症」だったそうです。

 

ーーー 学校の教室 ーーー

 

教授(カンデ・サンチェス・オルモス:記号学者)

 

 今日は「母親」という概念について考えます

 

 さらに「母親ではない女性」についても考えていきます

 

男子学生

 母親になるのは宿命です

 神が定めた ポジティブで自然なことです

 その宿命を罰だと感じる女性もいるかもしれません

 

女子学生

 女性は生物学上 子供を産むようにできています

 それを拒否するのは 利己的な行為だと思います

 

教授(カンデ・サンチェス・オルモス:記号学者)

 母親にならない女性は利己的

 この考えに同意する人は?

 

 遠慮しないで

 

画面では多くの学生が手を挙げる

 

女子学生

 母親になると アイデンティティが失われます

 私は マリナではなく 誰かの「お母さん」になってしまいます

 

教授語り(カンデ・サンチェス・オルモス:記号学者)

 

 私たちは共通の文化や社会の中で、慣習や行動の規範を作り、それに沿って言葉に意味を与えています。

 そして、「女性」という言葉には「母親」という意味が含まれると決めたのです。

 

 でもそのために、母親になりたくない女性は悩みます。

 自分は一般的な基準から外れている。社会に居場所がない、と感じているのです。

 

エリザベート・バダンテール(哲学者) 

 

 私たちは、なぜ子供が欲しいと思うのでしょう。

 子供を産まなければ 一人前の女性ではないと考えているからでしょうか。

 それとも 周囲のプレッシャーがあるからでしょうか。

 

 親や友達から、よくこんなふうに言われますよね。

 「あなた、35歳にもなってまだ子供がいないの?早く作らなきゃダメよ」

 

ーーー 結婚、子育ての様子を映し出したモノクロの映像 ーーー

 

ジョディ・デイ(フェミニスト活動家)

 

社会的に機能する母親を重視しているのが問題です。

母親になることに反対ではありません。

 

今は、これ以上子供を産まない女性が増えたら困るという危機感から

母性が過大評価されている気がします。

だから出産しない女性を貶めるんです。

 

小説でも映画でも、子供のいない女性は、その人自身というより

何か別のものとして描かれることが多いですね。

ほとんどの場合は 悪い女性の象徴です。

 

おとぎ話で言えば、白雪姫の継母、

ディズニー映画なら、例えば 101匹わんちゃんの悪女クルエラ。

邪悪な女性には子供がいません。

子供がいないのはつまり、社会から外れた存在だということです。

 

今、産まない女性は下で、母親は上に位置しています。

どちらも固定観念として。この2つを同等だと認識すべきなんです。

 

<つづく>

話筒抜け問題

本当によくこの問題にぶつかる。

 

「誰にも言わないでね」

って、全ての会話の内容に鍵をかけることはできないのは分かっている。

 

でも、私は、この問題が起きると、もうその人を信用しなくなるし、

話もしたくなくなる。

 

その話の内容は?と聞かれれば、それは大したことない内容かもしれない。

どこへ行った、何を食べたなどどうでもいい内容かもしれないし、

人格を表す内容かもしれない。

それに、もちろん、もちろんだが、カミングアウトは絶対にしないので、

それをいわゆる「アウティング」されたら、もう絶交しかないと思っている。

 

否、そんな重要な話を簡単に身近な人に言うような人にはカミングアウトするまい。

 

そうでなくても、

 

あなたひとりに話したことを、”私が知っている第3者”に話すこと

 

が、私には、侮辱、裏切り、話のネタにされた、小馬鹿にしている、

 

と感じてしまうのだ。

 

私は、閉じた人間関係が好きだ。

 

1対1なら、2人だけの話にしておきたい。

もし、他の”私の知らない第3者”に話すなら、

「ある友達が・・・」

と、匿名で話してもらいたい。

 

しかし、私が話したことを相手が聞いて、そしてそれをどう扱うかは、

残念ながら、私の知る由もない。

 

 

これを書いたのも、職場の人間関係からだ。

よくあることだが、職場の人にプライベートを言いふらされた、

といったことだ。

 

現実には、私が信頼し、話した人は、自身の夫(同じ職場)に、家でいろいろ話していたようだ。

その夫が、私と2人でいる時にコソッと、

 

「〜って(妻が)言ってたよ」

 

といったことを口にした。

 

その瞬間から、はらわたが煮え繰り返り、

 

気許しすぎた!失敗!もう絶対にプライベートなことはアンタにしゃべらない!

 

と心に誓った。

 

現在、もう信頼がなくなったので、聞かれたことだけに淡々と答えるだけの日々を過ごしている。

職場の人間関係はドライな方がいい、というのはずっと前から分かっていたことだ。

まあでも、

 

 

人間関係も仕事のうち。

そつなくこなそう。

 

今回、この問題にぶち当たり、こんな心に刺さる(?)だろう言葉ができた。

どこかで聞いた誰かの言葉かもしれないが。

 

悪気はないのは、もちろんわかっている。

 

好きな相手だったから、余計に腹が立っている。

その誓いから、もう1ヶ月ほど経つ。

不眠、からの免疫力低下、からの膀胱炎。

そして、食欲不振からの体重減少。

 

失恋にも似た現象だ。

 

自分でも、時間の経過とともに”ちょうどいい距離感”を取れるようになることを願っている。

 

まだかかりそうだが。

映画「お嬢さん」

最近観た韓国の映画「お嬢さん」。

2週間で3回観てしまった。

内容は、性的な内容をかなり含むので、大人向けです。

 

韓国のL映画は、「ユンヒへ」を劇場で観たのみで、2作品目ということになります。

 

この作品、ジャケットデザイン、タイトルが、本編内容とかけ離れていると思いました。

話のメインは?と聞かれたら、

 

「お嬢さんと侍女の、図らずも落ちてしまった恋愛」

 

とでも言いましょうか。

 

L映画あるあるなんですけど、この「貴族女性(姫的な?)とその召使い(メイド)との恋愛」。

 

たとえば、

或る女の肖像」

アンモナイトの目覚め」

「モンスターズ 悪魔の復讐」・・・。(他にもあると思う。)

 

しかし、この「お嬢さん」のどこが気に入ったかというと、

話の展開、七転び八起きといいましょうか、起承転結と言いましょうか、

そこがただの女同士の恋愛物語じゃないところ。

 

悲しいかな、L映画の多くはノン・ハッピーエンディング。

なんで?なぜなの?

お互い強く惹かれ愛し合いながらも、社会規範やらあらかじめ決まっていた結婚をしたりして結局は別れる。

そんな激しく燃える恋愛をした若かりし頃があったわ、などと今を振り返ったりして。

 

私が好きなのは、もちろんハッピーエンディングです。

どんなに激しく恋に落ちても、ハッピーエンディングで終わってくれなきゃ、

私の中で星3つは付かないぞ!(何様?)

 

そんなところも、こちら「お嬢さん」は見事クリアしてございます。

そのエンディングも、もちろん、七転び八起き、起承転結、のらりくらりがありますから、

そんなにすんなりはいきませんが、そこがハラハラドキドキで、視聴者を飽きさせないのです。

 

そして、これで締め括りたいと思いますが、

侍女役(スッキ)の役者さん、キム・テリさんにが私にとって大ヒット。

童顔で、きっと日本人にも人気が出ると思われるかわいいフェイス。

化粧美人が多い印象の韓国女性のなか、素顔のままで十分かわいいのです。

すぐさまインスタもフォローしました。

性格はよくわからないけど、話している感じを見ると気さくな性格なのかな。

 

ということで、韓国人俳優の推しの発掘までできた作品でした!

 

追加:日本と韓国の関係性の勉強もしようと思えるきっかけともなった作品でもあります。

働き方カイカク2

週5日で働いていて、疲れが残ったまま月曜日の朝を迎えることが多い、といったことがなければ、その人に合った仕事だったり、労働時間だったりなのだろうと思います。

 

ただ、疲れたままの月曜日の朝の出勤はキツいでしょう。

 

私がフルタイムで働いていて、一番キツいと感じていたのは、木曜日の朝でした。

 

そして、だんだん木曜日だけではなく、毎朝ベッドから体を起こすのがツラくなってくる。鉛のように重たい体を横から縦にするツラさ。

 

「地獄」

の2文字が、毎朝、頭をかすめる。

 

と書いていて、前回の文にもこの「地獄」の文字、書いていたことに気付きました…。

 

と、それくらい毎朝地獄のような起床だったわけです。

 

とはいえ、出勤してしまえばピリッと仕事モードになるんですが。

 

たぶん、この「ピリッと仕事モード」が、疲れにつながっているんでしょうね。

でも仕事って、緊張感を持って取り組むものでしょう。

仕事を緊張感なしにするというのは、やっぱりできません。

つまり、緊張からの疲れは逃れられない。

だとすると、勤務時間の短縮をして、休みを多く取り、心身の回復をさせてからまた、ピリッと仕事モード、というサイクルなら、持続可能なんじゃないか。

 

ということで、フルタイム5日間勤務「以外」の働き方を模索したのです。

働き方カイカク

月に1つはこのブログを書こうと、2月中に思っていたのに、3月になってしまった。毎日のように書いてる人すごいですわ。

 

頭の中にはブログのネタがどんどん積み上がっていくけど、文にするまでが腰が重くなってしまう。

 

ということで、タイトルにあるように「働き方」について、です。

 

これを書こうと重い腰を上げたきっかけは、あるYouTuberさんの働き方、暮らしを見たこと。彼は30歳で、月2万4千円くらいのワンルームで一人暮らし。週に2日働いているフリーターだけど、その暮らしぶりが幸せそうなんだな。動画を観てると、価値観が私と近いんじゃないかと感じる。

 

私も、フルタイムで働くことをしなくなって1年半くらい経った。今は、一日7時間の週4日出勤のパートタイムと、クラウドワーキングとメルカリが収入源という感じ。この働き方、サイコー!と毎週金曜日の朝にしみじみ感じている。でも、ホントのところは完全在宅ワークが理想ではあるんだが。そう、月曜日〜木曜日が出勤で、金曜日〜日曜日が休み(クラウドワークしますよ)という一週間なのですね。

 

収入的には、パートの職で月10万円くらい、クラウドワークで月平均して8、9千円くらいです。

私は両親と実家暮らしなので家賃はかからず、家には月1万円入れてます。これ以上入れると、下手したら赤字になるんですね。もっとクラウドワークで稼げたらいいんだけど、今まだ成長中。50代以降も見据えて力を付けていきたい仕事なんです。今はとにかく案件を採用していただけるように、がんばりすぎないペースで楽しいと感じられる範囲でやってます。

 

なんでフルタイムで働ける私みたいな人が、パートタイムにしたかというと、正直言って、疲れやすい体質であることがようやく分かったから。

 

3年くらい前までは、「独身だし、年金を受け取る年まではずっとフルタイムで働き続けるものだ」と思っていました。

けど、その当時フルの派遣で働いていたところも辞めたくて、そして次はなんの仕事を選んだらいいのかを考えていたところ、これまでを振り返ったわけです。

 

私、10社以上の転職をしてきた人なんですが、意地悪パワハラ人がいたところ以外は、だいたい身も心も疲れ切ってきたところで辞めてきました。

そういう、疲れ切って土曜日を迎える繰り返しの日々を送っているということは、この仕事、職場は自分に合っていないんだ、もっと長く働き続けられる会社じゃないとこの先無理だ、という考えもあって、転職してきたんですね。

でも、転職した先でも、やっぱり疲れ切ってしまって毎朝起きる時に「地獄」を感じるようになる。なんで?自分に合う会社ってどこにもないんだろうか。そんな時に「在宅ワーク」という言葉を知ったんです。

 

<つづく>