だいたいのことはひとりでも楽しい

一番大切にしていることは「精神衛生」です。

出産しない女たち [m]otherhood 〜書き起こし〜 2/3

オルナ・ドーナト(社会学者)

 

子供のいない女性は孤独で、一緒にいるのは猫だけ。

通りで野良猫にエサをやり、夜になるとひとり、リビングで暗闇の中で座っている。

そんな惨めな生活を送っている、ということになっています。

もちろん、そういう人もいるかもしれません。否定はしません。

でも、母親になりたくない女性の全てがそうなるわけではありません。

もしこれが、子供のいない女性の唯一のイメージだとしたら、

若い女性は将来に恐怖を感じるかもしれませんね。

 

ヘマ・カノバス(臨床心理学者)

 

母親になることで女性として完成するわけではありません。

女性という存在を円で表したとき、母親であることはそのごく一部を占めているに過ぎないのです。

 

サラ・ディール(作家)

 

社会からのプレッシャーは、女性に害を及ぼしています。

自分で自分を見張るようになってしまうのです。

父親も夫も、何も言っていないのに。

私は他人に優しくできないし、子どども欲しくない。

きっとどこかおかしいんだと、思い込まされているんです。

 

リナ・メルアネ(作家)

 

オリンピックのメダリストになりたくないなら、なる必要はありません。

能力や才能があって、子供の頃から十分に訓練を積めば、

ラソンや体操のメダリストになれるかもしれません。

でも、それを望んでいない場合もあります。

母親になるのも同じです。私には、出産や育児をする生物学的能力があって、

もしかしたら素晴らしい母親になるかもしれません。

でも、母親となる人生を望まないのに、産む必要があるでしょうか。

 

ーーー スポーツのモノクロ映像 ーーー

 

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

子供が欲しくない人が よく耳にする言葉があります

一番多いのは「そのうち気が変わるよ」

 

ささいな事なら 何の問題もありません

食事をしていて 私が 「デザートは要らない」と言ったとき

「気が変わるよ」と言われるならいい

 

でも、子供を作るかどうかなんて 他人に分かるはずがありません

 

子供が欲しくない女性の半数は 昔から そう考えていたそうです

私もその1人で 小さいころから ずっとそう思っていました

 

ーーー ケイトの自宅 ーーー

 

30を過ぎてから、自分にこう問いかけるようになりました。

 

私には何か足りないの?どこか欠けているところがあるの?

足りない部分を補う必要があるの?

 

そして、ハッと気づいたんです。女性は母親になるべきだ、というプレッシャーが原因なんだと。

もっと大勢の人が、堂々と声を上げるべきだと思います。

私には足りないところなんかない!何も欠けてはいない!

他の人と違うかもしれないけれど、みんながそれぞれいろんな風に違っていて、それでいいんだ、って。

 

ーーー 再び、ステージ上で話すケイト ーーー

 

私は 生物学的時計(バイオロジカル・クロック)を持っていないようです

子供を欲しがらないのは 自然でない 悪いことなのでしょうか?

 

ないろんは自然のものではありません

油で揚げたチョコレートバーも

ホーキング博士の声も

 

でも 悪いものではありません

 

 

 

|本能|

 

マリベル

 

1985年から助産師をしています。もう33年になりますね。

私の母は40歳で妊娠しました。

当時私は15歳でした。母に、出産に立ち会いたいと言いました。

その日が来て、弟が生まれると、助産師さんに赤ちゃんの面倒をみるように、と言われました。

ただ、見ていただけじゃなく、参加したんです。

その時、私は助産師になろうと心に決めました。

 

この仕事には、とても満足しています。

今も感動しますし、状況によっては緊張もします。

人生の大事なプロセスに立ち会っていると考えただけで、満足感と幸せを感じるんです。

 

ーーー 出産シーン ーーー

 

マリベル

 

親になる人たちは、どんな未来が待っているのか分かっているのでしょうか。

多分、分かっていないと思います。

大抵のカップルは、期待を抱いています。

でも、それが幻想に基づくものだと、後で不満を感じることも多くなります。

 

ーーー 羊の放牧風景 ーーー

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

「母性本能」という概念は、人類最大の欺瞞だと思います。

 

人間の女性と、動物のメスを完全に一緒にしてしまっています。

馬鹿げてますね。

 

女性は動物ではあっても、他の生き物とは違います。

 

 

女性のナレーション

 

今でも、25歳くらいになると、女性は子供を産むかどうかではなく、

「いつ産むべきか」を悩むようになります。

子供を産むのは義務だと考えているからです。

社会から受けるプレッシャーを、私たち女性は溜め込んで、

それを母性本能かのように認識するんです。

 

 

ーーー 国立バレンシア看護学校 ーーー

 

マリベル

 

「今日は最後の授業です。長い講義でした。試験の後でアンケートに記入してください」

 

私は子供は欲しいとは思いませんでした。

全ての人が、同じ役割を果たすために生まれてくるわけではありません。

母親になる人もいれば、研究してガンの治療法を見つける人もいます。

 

私は10代の頃から、子供を産むのは自分の役割ではないと思っていました。

 

子供がいないのはハンディキャップでした。

例えば、妊婦の母親に言われたことがあります。

「あなたには子供がいないから、うちの娘の気持ちなんか分からないでしょ」

 

ガンにならないと、ガンの名医にはなれないんでしょうか。

そんなことはありませんよね。

 

ーーー マリベルと男性パートナーが歩いているシーン ーーー

 

彼と一緒になって22年になりますが、子供を持とうと思ったことはありません。

私にはその気はなかったし、彼にはすでに子供がいたので。

これが私の人生。幸せな人生です。

人はそれぞれ、自分の人生のレシピを持っているんです。

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

女性の歴史を見れば、よく分かります。

私たちがどれほど、社会や文化や環境の制約に縛られているのか。

 

18世紀のフランスでは、母親は産んだばかりの子供を自分のそばに置きませんでした。

出産から1日か2日で、乳母に託していたのです。

ブルジョア階級や上流貴族の女性にとって、自分の子供に乳をやるというのは嫌悪すべきことでした。

私は乳牛ではない、という考えが根底にあったのです。

 

決して子供が無理やり母親から奪われた、ということではありません。

女性が、当時の社会によってそのように条件づけられていたのです。

それで私は理解しました。もし、人間が母性本能を持っているとしても、

それはさほど、強いものではないのだと。

 

マリベル

 

母親は、赤ん坊を守り、世話をする本能を持っています。

全ての哺乳類に備わっているものです。

人間が他の動物と違うのは、学習が必要だということです。

赤ん坊に乳を飲ませて、服を着せて、体を洗って、抱っこする方法を教えなくてはならない哺乳類は、

私の知る限り、人間だけです。

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

世界幸福度調査によると、親の幸福度は子供が生まれた直後に急降下

子供が家を出ると急上昇

 

単なる偶然ですよね?

 

 

|抑圧|

 

サラ

 

私たちは、母親になると幸せを感じるよう、社会に期待されています。

子供を持てたことに感謝するのが当然で、不平を言うことは許されません。

母親であることのマイナス面を口にすると、頭がおかしいと思われるのです。

 

ーーー サラが出演したテレビの画面を、サラ自身が自宅で観ている ーーー

 

アナウンサー

” 『母親にならなければよかった』

 サラ・フィッシャーの著書です。

 母親になったことを後悔し、父親になりたかったと書いています。

 ようこそ サラ ”

 

サラ語り

 

私が、「母親にならなければよかった」というタイトルの本を出版した時、

全く知らない人に脅されたのには驚きました。

街で会ったら殺してやるとか、殴ってやるとか、子供を持つ資格はないとか。

最初の1年間はあまりにも酷かったので、他の国に引っ越そうかと考えたほどです。

 

娘のことは、もちろん愛しています。

残念でならないのは、母親である、自分の今の状況です。

そんなに理解できないことではないと思うんですが。

 

娘が生まれるまで、私は写真家として活動していました。

様々な国を訪れて写真を撮り、その写真を使ってライブショーをするんです。

1年のうち半分以上は旅をしていました。

娘が生まれてからも、最初の2年は仕事を続けました。

手のかかる子供ではありませんでしたが、子供を連れての旅というのは

とてもストレスが多いものです。

それでライブショーをやめました。

娘がいたから、別の仕事に就くことにしたんです。

 

 

リナ・メルアネ(作家)

 

母性の問題は、進歩もありましたが、後退もありました。

 

歴史的に見れば、女性がより自由になれた瞬間はありました。

ほとんどは、社会が女性を必要とした時期。

つまり、戦争、革命、経済危機などの時です。

ただ、その時期が終わると、女性はまた家の中へ追いやられました。

女性を家庭に引き戻す理由は、常に子供です。

 

ーーー 昔の映像。夫婦と幼児1人の家庭の様子 ーーー

 

ターナー夫人の生活は変わりました。妻と母親の役割を果たす一方で、公人である夫もサポートします ”

 

サラ・ディール(作家)

 

社会がこれまで通りに機能するよう、女性は圧力をかけられています。

女性に子育てや夫の世話を、無償で行うことを期待しているんです。

もちろん、男性にはそんなことは求められません。

他人の世話をしたり、奉仕する仕事は女性を資源として使えばいい、というわけです。

男性は外の世界に出ていって自立して働き、女性はそれを支えろと言うんです。

 

アナ・マラデス(法学博士)

 

国家は、国民全てに自分の持ち場に着いて欲しいと考えています。

国が望む場所に、女性を配置する最もいい方法は、母性を称賛することです。

 

サラ・ディール(作家)

 

社会全体による子育てという考え方は重要です。

母親だけでなく、大勢で子供の面倒をみるのです。

カナダでは、新しい法律によって、最大4人が子供の法的な親になることができるようになりました。

親子の絆を築けないのではと懸念するかもしれませんが、実際には、絆を結べる親の数が増えることになります。

 

サラ・フィッシャー

 

私が仕事で家を離れ、夫が娘の面倒をみていると、よくこう聞かれるそうです。

「奥さんがいなくて大丈夫?娘さんの面倒をちゃんとみられる?あなたは仕事をしないの?」

 

物事を決めつけ過ぎています。

母親はどうやっても、認めてはもらえません。

 

エリザベート・バダンテール(哲学者)

 

保守派のカトリック団体、ラ・レイチェリーヌは、

母乳による育児を望まない女性は、モンスターだ、という考えを広めています。

最初は少人数のグループでしたが、徐々に莫大な数の人々がその主張を支持するようになりました。

 

神の意思に基づく、エコロジカルな育児運動だそうですが、

正しい子育てをしたいと考える若い母親たちに、甚大な影響をもたらしています。

 

これは、女性を家に閉じ込める巧妙な手法なのです。

新しさを装って、その実は私たちを中世へと送り返そうとしています。

とても容認できるものではありません。

 

サラ・フィッシャー

 

期待されるのはいつも母親です。

うちも娘の世話は、全て私の仕事。

寒くないように暖かい服を着せるのも、病気になれば医者に連れて行くのも、私の役目です。

もちろん幼稚園の送り迎えも、母親がすることが当たり前になっています。

夫に全部を期待する人は、誰もいません。

母親は、1日24時間365日、子供につきっきりです。

それなのに、人は母親のしていることを評価せずに、欠点ばかり指摘します。

だから、父親になる方が楽だと、私は思うんです。

 

 

ーーー 再び、ケイトのステージ ーーー

 

私と夫に 家族からのプレッシャーはありませんでした

2人とも 物書きだったので、麻薬にさえ手を出さなければいいと思ったんでしょう

それ以上はオマケみたいなもの

 

でも 社会的なプレッシャーは確かに存在します

特に女性に対しては