だいたいのことはひとりでも楽しい

一番大切にしていることは「精神衛生」です。

幸せについて

昨日の愛犬の散歩中、シュールな一場面があった。田んぼの真ん中で。

3人の人間と犬2匹。1人は白い犬を連れたおじさん、もう1人は杖をつく歩行が困難な中年と思しき女性、と私と愛犬。おじさんが連れた白い犬は、田んぼに囲まれた道路の交差点付近で座ってじっと動かず遠くを見ていて、飼い主のおじさんを困らせている。そこに私と愛犬が通りかかる。その後ろを、歩行困難な杖をついた女性が続く。その女性は、リハビリなのか、このあまり車が通らないタンボの真ん中の道を選んだようで、とても神妙な表情だった。挨拶した時に思い詰めたような目をしていたのだ(口元はマスクをしていてわからない)。田んぼ道の真ん中でその3人が無言のままじっとしている(うちの愛犬も匂いを嗅ぐので私も立ち止まっていた)。こんな光景は二度とないかもしれない。ゴダールの世界のようだった。

 

さて、このタイトルのことをずっと書こうと思っていた。思いついた時にはツイッターが便利。つぶやいたけど、ちゃんとここに書いて整理したい。

「幸せとは」なんて、大それたことのようだが、私はこれが頭に浮かんだ時に、「ああ、そうだ、そうかもしれない、しっくりくるなこれ」と思った。

それは、

「 ”幸せ”というのは、私にとっては、何かが ”ある” ことではなく、不安や心配ごとが ”ない” ことかもしれない 」

ということ。

このことがふと浮かんだのは、ここ1ヶ月くらいで読んだ2冊の本が影響しているのかもしれない。

 

1冊は『「山奥ニート」やってます。』。もう1冊は『クリスチャニア 自由の国に生きるデンマークの奇跡 』。

どちらもスモールコミュニティでの暮らしという共通点がある。その社会の中で働き、少量のお金を得て生活している。

「山奥ニート」については、オリエンタルラジオのあっちゃんのYouTube大学で紹介されていたのを観て興味を持った。私もちょうどニートだったこともあって。賛否両論あるようだけど、私としては”やったもん勝ち”だと思う。住人は親元から離れているので、引きこもりとも違うし、自給自足のようでそこまで畑の手入れをしているわけでもない。住人集落のお年寄りとの共生、相互扶助が成り立っている。各人、ほとんどの時間を自分の好きに使っている。これは幸せってもんでしょう。社会でうまくやっていけなくても、ここなら受け入れてもらえるかも、と最後の砦(?)のようなこの場所の存在は貴重だと思う。「ニート」と銘打っているからか、センセーショナルな強い印象があるが、実は日本国内にも色々な場所にあるようだ。かなり視野が広がる感覚。その感覚を持ちながら図書館で見つけたのが『クリスチャニア  〜』。

この本は、実はもっと前に図書館で背表紙だけ見ていて気になってはいた(パラパラと中身も見ていた)本だった。今が読みどきだ、ということだったのだろう。今回は迷いなく借りた。

北欧は幸福度が高いという統計は有名だ。やはりそこは福祉が充実しているという所以だろう。税金は高いが、老後の年金に困ることはないようだ。小学校から大学まで授業料は無料。他にもいろいろな税制があるのだろうがそれは今後調べるつもり。

デンマークなど北欧諸国に住んでいるからといって、誰もが幸福とはもちろん言えないが、やはり先々の経済的な不安は少なそうだ。私は独身で収入も少ないので、老後に10万円前後の年金でやっていかなければならないのは目に見えている。でも、今の生活は幸せだ。そう感じたのは働いていないときであって、仕事がなくて絶望することなく楽観的に思えているから。もちろん老後の資金がなければ不安だが、それを今考えたとてどうにもならない。いつ死ぬかもわからない。将来の不安がゼロというわけでもないが、とにかく今、心配や強いストレスもない。前職のストレスから解放されたし、今、新しい職場でのちょっとした面倒くさい点はあるが、心配や強いストレスというほどでもない。人間関係のトラブルもない。恋愛もないけど、今のところ面倒という気持ちが勝つので結構だ。今のプレーンな状態を幸せというのかもしれない、と結論づけた。いわゆる「可もなく不可もない」状態。満足な状態というのでもないけれど、これを幸せな状態と言っていいのではないかな。どうだろうか。