だいたいのことはひとりでも楽しい

一番大切にしていることは「精神衛生」です。

ZOOMなどを使ったオンライン会合

ミラクルひかるがものまねをする工藤静香の「慟哭」が頭から離れません。

あの語尾「気がついーたのぅ↗︎」のところが焼きついて離れません。

 

ここのブログも、WEB制作課題の本格始動とともに止まってしまった。ほんとうに頭を持っていかれる。こないだ少し心がかすり傷を負ったばかりなのに、今はほぼWEBのことで頭がいっぱい(その中でもミラクルひかるを忘れていなかったが)。何かあっても、他の何かに没頭すると人間は癒されます。

 

今日は、オンラインでのZOOMを使った会などについてでも。

このコロナ禍で一気に広まったオンライン○○だが、初めてちゃんと会話したのは、今受けているWEBデザインの学習の中でのこと。こちらが一方的に、話している人を視聴することはあったが、1対1では先週が初めてで、今日は3回目だった。母は、毎日のように使っていて、もう慣れたらしい。70歳を超えているが、ずいぶんと吸収が早いこと。

私は、画面に映る自分の顔を見ながら相手と話すなんて、生理的に嫌だなって思っていたので、よっぽど面接などでもなければやりたくないなと思っていた。部屋の背景は移り込んでしまうし、部屋にいるのに着るものにも気をつけなければならない。しかし、今やこれは通常のビジネスツール、コミュニケーションツールになってしまった。

それにだ、私はそんなことを言いながらも在宅勤務を希望しているのだから、これは克服しなければならないと感じ始めている。

たしかに、今日は直接、私が作ったデータを見てもらいながらどこをどうすればいいのかを聞けて、すんなり解決できた。メッセージアプリで質問を投げることもできるが、それでもやっぱりわからないときに、再度聞けなかったのは2日前。教える側はプロで、私はど素人。蓄積された知識は雲泥の差があるのに、なんだか難しいことを言ってくる。「すいません、ちょっと何言ってるのかわからないんですけど・・」とは返しづらい。教えるのにもコツがいると思うが、そういう訓練は受けているのだろうか。やたら難しいIT用語を使う人っているよね。

ともかく、オンラインの対面は慣れるに越したことはないと結論した。友達からやってみようかな。でも、友達少ないんだった。。

母性本能がない問題

Twitterの断捨離をした。たまにSNSのフォローの整理をするとスッキリする。Instagramと被っているフォローはどちらかでいいし、相互フォローの人や団体は一応残しておく。削ぎ落として削ぎ落として。

 

タイトルは、いつも考えるテーマの一つ。

私には母性本能というものがないらしい、ということ。

妊娠して出産して育てる。この三段階のどれにも興味がない。こうスパッと言い切ると、ほんとうに冷たい人だと思われそうで、口外しないことだからここに書いているのだ。

物心がつく頃から、同性のことを好きになってしまう自覚はあって、男性と付き合わないし性交渉をしないのだから妊娠はしない。だから興味がないのかなと、漠然とずっと思ってきた。だから、同性愛者の女性は、ほとんど出産や子育てに興味がないものだろうと思っていた。しかし、最近は、声を上げる当事者が増えてきていて、女性カップルでも子どもが欲しい、さらに、男性カップルでもそう思っている人たちも少なからずいるということが分かってきた。

そうなると、自分も同性愛者だから母性本能がないのではなく、ただ母性本能がない女性になるのだ。

どこかネットで読んだものでは、「母性は備わっているのではなく、出産してから現れる」などと書かれていたと記憶している。かと言って、ひとまず産んでみる、なんてことはできない。旦那はいらないが、子どもだけは欲しいと言って1人で出産、子育てをしている人をテレビで見たこともある。どういう脳をしているのだろうと思う。ほんとうに、私の脳のどこを探しても「子どもがほしい」という気持ちは出てこない。

また、妊娠している女性の大きいお腹も、生理的に見たくない反応が出てしまう。ましてや、テレビなどの出産シーンではチャンネルを変えるし、赤ちゃんや小さい子どもと対峙しなければならないとき、どうすればいいのか分からない。それが予想されるところにはまず行かない。電車などでじっと見てくる子どもにはこちらもじっと睨み返すし、近所の子どもにもあいさつしてきたときには返すくらいだ。

だから、女性だからといって、子どもが好きだろう、産みたいだろう、なんて思わないでくれ世間!だから、私は20代の頃から思っている。出産にはもう遅いという年齢に早く達したいのだ。

9/15

昨日のニュースだったようだが、また現役の俳優さんが自殺した。芦名星さん、という名前を聞いて、聞いたことあるけど、元モデルさんだっけ、と思った。脇役が多かったと思うが、36歳美女。なにがあったんだろう。三浦春馬くんの逝去のときも頭に流れた曲がある。あいみょんの「生きていたんだよな」。

この曲の中で、 今ある命を精一杯生きなさい、なんてきれいごとだな  

精一杯勇気を振り絞って 彼女は空を飛んだ 

 

という歌詞がある。自殺を肯定するか否かは、本当に誰にも決められないことだと思う。人生精一杯生きて、それで力尽きた。残った者を悲しませるけれど、彼らにはその選択が優先順位だったのかな。私は、本気で自殺を考えたことがないから分からない。「生きていたんだよな」と確かにあなたはいたんだよな、と時々思いを馳せるしかない。

 

” 新しい何かが始まる時 消えたくなっちゃうのかな ”

 

                       あいみょん「生きていたんだよな」

おとといのカラオケ

ドコモ銀行で〜、という預貯金が何者かに不正使用されるというニュースがあったので、通帳記入に行こうと、PCの横に通帳を置いていたのにそのままで1日過ぎてしまった。不正使用は、その引き落としがされてから早めに届け出ないと保証が危ういらしいので、本当にお早めに。

 

おととい、カラオケ送別会(私の)に行ってきた。思っていたより飲みまくり、踊りまくり、歌いまくった…。私個人としては、約1年ぶりのカラオケだった。4年前くらいに集団でカラオケに行ったとき、自分でもびっくりするくらい声が出なくて(人前で緊張する)、「私は人前では歌えないのだわ」と、人から一筋で生きていくことに決めていた。だから、今回も、「いいよー、聴いてるから」と聴く側での対応になるだろうなと思っていた。しかし、アルコールの力ってすごいね。アルコール飲みながら、声張って歌ったとしたら、きっと喉がすぐにダメになるだろうと思ってた。けれど、3人で回すから、ほどほどに喉が休まるしで、あっという間に6時間!40代女性3人、荒ぶる。まあ、私が一番荒ぶってたけど(踊るのが好き)。

3人全員が酔っぱらえればいいのだが、これまた地方の常。ドライバーが必要なので、1人は飲めない。私以外の2人は、子と旦那を持つ母なので、こう言う機会にはっちゃけて、ストレス発散してもらえてればよかったですわ、私の送別会というよりも。

腐海

今日は目標だったWeb制作の課題をなんとか形にした。根本的なところから勉強し直さないといけないかもな。コードをコピペで再現してできた!って満足していた自分がアホらしいぜ。.scssで作れって何だよ!.cssってのしか知らないぞ!

 

さて、タイトルの「腐海」というのは、「風の谷のナウシカ」に出てくるところらしい。今日観たTV番組で初めて知った言葉だ。物語の中だけではなく、実際にあるらしいので驚いた。ナウシカの話に出てくる「腐海」は、人間をも含め、そこに沈めることで地上の衛生を保とうとするシステムである、みたいなことで紹介されていた。私は、ナウシカを映画でも漫画でもほぼ観た記憶がないので、これを機に観てみようと思った。

 

このTV番組というのは、コロナ時代をどう生きるか、みたいなテーマで、3人の有識者が「風の谷のナウシカ」の漫画版を通してそれぞれの専門から多角的に見る番組構成だった。こういう方法も面白いなと思った。一つのものを、各人が見てどう感じ考えるのか。三人が集まって話す形式ではなく、それぞれの居場所からリモートで論じ、それを一つの番組にする。生物学者歴史学者、美学者という異なる専門家からの視点。ありそうでなかった気がする。

 

さて、コロナ禍での変化だけれど、私に関してはほぼ生活面の変化はない。もともと家で過ごすことが好きだし、外食もほぼしない。大都市圏では変化が大きいだろうけれど、私の住む地域、市では感染者も出ていない。今のところだけれど。いいのか悪いのか、近くに友人もいないので飲み会などもない。逆にありがたい面の方が感じられる。リモートでのイベント開催は、東京開催の場合、これまではよっぽど行きたいと思うものでなければ行かなかったが、リモートで、となれば気軽に参加できる。それに、「東京の人はすぐ行けていいね」というイベントやお店なども、地方に住む私の選択肢の数とあまり変わらない、という格差の緩和。優劣を付けるわけではないけれど、かなりの格差を感じていた。感染者の多い東京より、むしろ地方のほうがせせこましくないし、人との距離も、いつも通りでソーシャルディスタンスを保てる。それに、これはコロナ禍が追い風になったが、在宅ワーク、テレワークも進んだ。「在宅で仕事をしたい」と言うことも、単に怠けとか、楽したいとか、ひきこもりだとかと、特殊な扱いがされなくなってきたから人に言いやすくなったのは恩恵だ。

こうやって、都市と地方の生活にあまり差がないのであれば、もっと首都圏から地方へ分散してくれればいいのに。私が期待するコロナ時代のメリットは、東京一極集中の是正。時代の切り替わりに、いっそのことどうだろうか。

映画館

昨日は、1年以上ぶりに映画館へ。その映画館は、車と電車で片道1時間半ほどのところにある大型ショッピングモールに入っている。どうしても映画館で観たかった、というか、DVD化されなさそうで、今しか観られないと思ったので、わざわざ遠くの映画館(県内ではそこでしか上映されていない)へ出向いたのだ。

 

観た作品は「僕たちの嘘と真実」。欅坂46のメンバーたちのドキュメンタリーだ。デビュー当時からずっとカメラで追っていたのだから、のちに映像作品としてまとめるつもりでいたのだろうか。

アイドルになろうという子たちは、誰しもが「私を見て!」というわけではないようだ。特に欅の子たちは前に出ようとはしないタイプが多い。センターを務めていた平手さんもそういう性格だったのだと思う。デビュー当初は、まだ中学生ながらセンターに選ばれた責任感もあるだろう、がんばろうと必死だったのだと思う。徐々に心も体も追いつかなくなっていったように見える。

私が、欅坂を聴くようになったのは去年(2019年)の夏頃からで、ファン歴としては1年くらいだが、発表した曲やライブDVDはすべて持っている。2017年の欅共和国という、毎年開催されている野外ライブの映像では、平手さんはアイドルを演じて見せていたが、次の2018年の共和国ではほぼ笑顔は見られなかった。この1年の間に何があったのだろうと思っていたが、曲の歌詞からみても、屈折した心理描写の主人公のストーリーが多いため、その曲の世界観を表しているようにも見て取れていたので、それほど気にはならなかった。むしろかっこいい、恥ずかしいのかもしれないが、ダンスがうまい!などと思って観ていた。

しかし、おそらくこれは推測だが、テレビなどの露出が増えるにつれ、ネット上での、正体不明の視聴者からの誹謗中傷があったのではないか。本人としては、きっとスタッフから言われたように、むしろ言われたもの以上に必死にがんばっていたのだろうと思う。それを特にファンでもない視聴者が侮辱する。中学、高校生くらいの引っ込み思案な女の子が、大人たちの言うようにやっていたのにもかかわらず、批判される。もちろんファンからの声援もあっただろうし、メンバーの間でも声をかけたりもしていたようだが、心が傷つく言葉は、脳が忘れない。上の大人たちに辞めたいと言っても、辞めさせてくれない。2019年の紅白歌合戦でパフォーマンスはやっとの思いだっただろう。これが最後だろうな、と観ていた私もそう感じていた。

 

この映像作品は、ほとんどその紆余曲折の雰囲気で進み、後半は彼女たちのこれからを感じさせるものだった。公開予定の4月からから5ヶ月間経っていて、その間に改名が発表されたため再編集したようだ。パンフレットも新しいものになっていると思う(1,100円!)。出演していたメンバーとしては、誤解を解きたい、イメージを払拭したいという希望があるようだけれど、私の印象としてはそれほど見方が変わったわけではなかった。まず、ひとりひとりが、センターのポジションを与えられたとしても、その役割を頑張って担って欲しいなと思うに至ったのみ。普段はキャピキャピしていても、曲が始まると、その作品の世界観を表現することに没頭するというギャップがあっていいのだと思う。なに坂になっても応援しています。

出会い系アプリ

先日のブックオフの査定、なんと合計約3,800円!そんなにいくとは思っていなくてびっくりした。冊数からすると、一冊あたり100円くらいということになる。やりがいがあったな。

今日も不用品処分をしてきた。ノートPCと古いスマホと母の前のガラケー。近くにあるケーズデンキで無料で引き取ってくれた。スマホはその場でプレス機みたいなものでバリっとやるのだ。いたたまれない気分にもなったが、門外不出の書類やデータDVDなどをシュレッダーにかけて粉々にするのと同じことだ。でも、数万円もして買ったものだから、やはりなんだか痛々しかった。

 

タイトルに掲げた「出会い系アプリ」だ。アプリだ、なんて言っても別に文句があるわけではない。私も使っているし。

先日、よく聴いているpodcastの番組で、こんな小話があった。トーク者の友人が「アプリで相手を探すのに疲れた」とこぼしたそう。その友人に「何人とやりとりして疲れたの?」と聞くと、「5人」と答えた。そのトーク者は、「出会いなんて宝くじみたいなもんなんだから、5人なんてまだまだじゃん」と言ったそうだ。これは男性同士の出会いの話ね。

それを聴いてて、私からしたら、5人とやりとりして立て続けにうまくいかなかったらヘコむよ、そりゃあ、と思った。男性同士出会い系アプリは、もちろん使ったことはないけど、内容も登録者数も充実していそうだし、アプリの数自体も多そうだから、これで出会うカップルも実際に多いんだろうなと思っていた。私が好きなゲイカップルYoutuberさんたちも、やっぱりアプリで出会ったようだし。でも、かなりアプローチとか、メッセージのやり取りとか、数多く繰り返した結果、やっと出会えたのかもしれないよね。彼氏ができる前に何人と出会ったか、なんて、カップルになった今はあまり公言しないだろうし。

かく言う私も、アプリでこの4年くらいで3人と実際に会ったし、メッセージのやりとりだけだと5人は下らない。パートナーも友人も、まあ、できたらパートナーがいたらいいけど、長く付き合えそうな気の合う友人ももちろん欲しい。うーん、「宝くじみたいなもの」か。その言葉残るなぁ。何せ我々L女たちは母数が少ないのだから、実際の生活の中でも出会わないし(職場での出会いからおつきあいに発展した例もままあるようだが)、しかも、40代になるとアプリの登録者も少数。それに私は地方暮らしで、登録者は東京在住が圧倒的に多くを占めている。いったい40代以上のLさんとちはどうしてるの?もうみなさんパートナーがいるのかしら。運任せにも程があるので、今日はちょっとがんばってポチッとボタンを押したぞ!なにせ、今日は私の誕生日だからね。焦ってはいないけれど、心通わせられる相手は欲しいなぁ。やるせない誕生日…。