だいたいのことはひとりでも楽しい

一番大切にしていることは「精神衛生」です。

映画「お嬢さん」

最近観た韓国の映画「お嬢さん」。

2週間で3回観てしまった。

内容は、性的な内容をかなり含むので、大人向けです。

 

韓国のL映画は、「ユンヒへ」を劇場で観たのみで、2作品目ということになります。

 

この作品、ジャケットデザイン、タイトルが、本編内容とかけ離れていると思いました。

話のメインは?と聞かれたら、

 

「お嬢さんと侍女の、図らずも落ちてしまった恋愛」

 

とでも言いましょうか。

 

L映画あるあるなんですけど、この「貴族女性(姫的な?)とその召使い(メイド)との恋愛」。

 

たとえば、

或る女の肖像」

アンモナイトの目覚め」

「モンスターズ 悪魔の復讐」・・・。(他にもあると思う。)

 

しかし、この「お嬢さん」のどこが気に入ったかというと、

話の展開、七転び八起きといいましょうか、起承転結と言いましょうか、

そこがただの女同士の恋愛物語じゃないところ。

 

悲しいかな、L映画の多くはノン・ハッピーエンディング。

なんで?なぜなの?

お互い強く惹かれ愛し合いながらも、社会規範やらあらかじめ決まっていた結婚をしたりして結局は別れる。

そんな激しく燃える恋愛をした若かりし頃があったわ、などと今を振り返ったりして。

 

私が好きなのは、もちろんハッピーエンディングです。

どんなに激しく恋に落ちても、ハッピーエンディングで終わってくれなきゃ、

私の中で星3つは付かないぞ!(何様?)

 

そんなところも、こちら「お嬢さん」は見事クリアしてございます。

そのエンディングも、もちろん、七転び八起き、起承転結、のらりくらりがありますから、

そんなにすんなりはいきませんが、そこがハラハラドキドキで、視聴者を飽きさせないのです。

 

そして、これで締め括りたいと思いますが、

侍女役(スッキ)の役者さん、キム・テリさんにが私にとって大ヒット。

童顔で、きっと日本人にも人気が出ると思われるかわいいフェイス。

化粧美人が多い印象の韓国女性のなか、素顔のままで十分かわいいのです。

すぐさまインスタもフォローしました。

性格はよくわからないけど、話している感じを見ると気さくな性格なのかな。

 

ということで、韓国人俳優の推しの発掘までできた作品でした!

 

追加:日本と韓国の関係性の勉強もしようと思えるきっかけともなった作品でもあります。

2gether、チェリまほ、そしてリアルは

ほぼ毎日のようにタイドラマ「2gether」を観ている。

テーマソングと、切ない、悲しいシーンで流れる歌もiTunesで購入。

これが沼というやつかな。

Amazon Primeで、1話440円で購入しているから、結構な額を費やしてる。

各話、最低4回は観ているので、だいぶ客観視できてきていると思う。

 

その間、通称「チェリまほ」、ドラマ「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」を挟んだ。

 

私は漫画やアニメのBLは、ほとんど読まないので知らないんだけど、パターンとしては、

 

イケメンがかわいい系の男子を好きになって、その時点で失恋の気持ちはあれども、あきらめずに押して押して、押してダメなら引いてみたりして、今度は相手の方から気になってきて、結果的に相思相愛♡

 

という感じかな。「おっさんずラブ」も牧がじわりとアタックし続けてはるたんと付き合ってたもんね。

 

アタックする側がイケメンというのも大きいよね。

たとえ美女が近寄ってきても、全くそそられないイケメン。

架空だからこそ、そういう俳優さんが出てて欲しいけどさ。

 

あと、映画の同性愛ものの作品もたくさん観てきているけど、ドラマの良さを改めて感じる。

2人が徐々に距離を縮めていく様子を描くには、やっぱり数ヶ月にわたって放送されるドラマのほうが、よりリアルな感じがする。

最初は全く興味を示していなかった好きになられる側の男子が、徐々に先行の彼のことが頭から離れなくなっていく流れ。

映画ももちろん好きだけど、2時間くらいに集約して作っているから、どうも急激感が否めないんだよね。そんな急に落ちますか?って感じで。

 

2getherは、先行(好きになる側)と後方(好きになられる側)で見ると、先行も、後方が女しか好きにならないと分かっているんだけど、「そんなに好きにならなくていい」「そばにいたいだけ」と押したり控えめにしたりを繰り返しているところが巧い。

少しずつ、後方の心に自分を浸透させている。

 

チェリまほは、後方が女の子を好きだと先行は思っているから、決してストレートに告白することなく、親しくなれればいいとブレーキをかけつつ近づいていく。

とはいえ、先行の気持ちと行動は相反していないので、心が読めなくても行動で気持ちがわかるんだけど。

この控えめ感が日本っぽい?告白したら気持ち悪がられるだろうという思いがあるからね。

 

どちらのドラマも女性が原作者だし、腐女子が喜ぶ妄想ストーリーなんだけど、現実的には、男性同士で職場や学校で出会ってお付き合いした話はあまり聞いたことがない。

いいんですよ、ドラマと現実は違うからこそいいんだから。

 

ただ、女性同士は、現実には結構あるらしい。・・なれるらしい。。

女性カップルYouTuberを観ていると、職場で知り合って仲良くなって、お付き合いに発展、結婚(法的にはまだですが。)に至っているカップルさん、結構いらっしゃるのね。

私個人的には全く考えられなかったことなんだけど、あるのよ。

だから、リアル2gether、リアルチェリまほが、女性同士には結構あるということ。

ここは男女の性愛の違いかな。年代の違いもあるかな。

 

だからといって、私が現実に行動に移すわけでもないし、周りはほぼ既婚者ですし、好きになっても仲良くなれるだけでいいと思ってますがね。

 

そろそろ女性版2gether、チェリまほ、おっさんずラブを観たいなー。

明るい感じのを観たい。サブスク限定でも、テレビの深夜放送でもいいし!

逆に現実味があって、すぐに落ちちゃいそうだから面白みにかけるのかな?

「ベニスに死す」はなぜ名作なのか

たぶん、20年くらい前に一度観たきりで、2回目の鑑賞となった映画「ベニスに死す」。

美少年タージオにメロメロのおじさん、というイメージだった。

今回久々に観て、さらに感じたのは、

 

「惨めさ」

「醜さ」

「したたかさ」

「無様な姿」。

 

なんでこの映画が有名なんだろう。

セクシャルマイノリティ当事者の私にとっては、わりとよくある物語なんじゃないかと思うけど。

マジョリティにとって、この映画の良さって一体何なんだろうって思う。

 

この美少年タージオを演じた彼は、誰もが一目見て「美しい」と感じるのではないかと思う。

稀な美しさ。

この彼にぞっこんになる中年の男。

彼の姿が、惨めすぎて耐えられないよー。

 

あんなにタージオに嗜められているというのに、翻弄されまくるのだから、

見るに耐えない、けど、見ちゃう。

惨めすぎて、タージオを追うより、彼を追いかける哀れなおじさんを追ってしまう。

 

なんだろう、おじさん、かわいそうなんだけど、自分がおじさんの立場だったら、

と考えると、

「おいおい、そんなにあからさまに追いかけないぞ、私だったらね」

と思って、ヒヤヒヤしてしまう。

美少年のほうも、

「このおっさん、オレに惚れてんぞ!フン、何か言いたいことがあるなら話しかけてくればいいのに」

などと思ってるんじゃないかというような、思わせぶりな素振り。

 

しかし、このおじさんがもう少し若くてイケメンな音楽家だったら、BLになるんだろうけど、

歳の差が親子ほどもあると思われるので、どうしても「キモく」なってしまう。

 

あのおじさんも、タージオに話しかけるとかすれば、まだいいんだけど、

ただただ、じっと見る。

 

これがどうしてもキモいんですねー。

 

と言いつつも、私だって、憧れに相手を、ただフェンス越しに眺める、

みたいなタイプですよ、ええ、御多分に洩れず。

 

ただ、相手に気付かれでもしたら、スパッと切り上げますけどね。

 

おじさんも、最初にタージオにハッキリと見つめ返されたときに、すぐに家に帰る!とイキリ出したんだけど、手違いで帰れなくなって、意気揚々とベニスに帰ってくる。

 

素直なおじさん。

 

命を削ってまでタージオ君にぞっこんなんだから、本当に無様。

 

ただ、これが恋愛?一途な片想い?と見れば美しいのか。

 

ストーカーと言ってしまえば、なるほどそうかも。

 

とにかく、あんな姿は晒したくないなと思う。

私も、下手したらおじさんの歳に近いかもしれないし、気をつけるべし!だわ。

2gether

私はLGBTのLでBLが好きな腐女子なんです。

 

腐女子とはいえ、映画・ドラマ専門ですね。マンガには入り込んでいません。

たくさんあるでしょうし、マンガを読む習慣がないんですね。

 

ただ、「きのう何食べた?」は11巻くらいまで買っていました。

 

映画は、DVDで出ているものはほとんど観てます。

ゲイが脇役で出ているものでも。

これまでで何本観ただろう。

 

映画については、話が膨らむのでここでは割愛します。

 

ドラマは、ここ数年は

おっさんずラブ」「きのう何食べた?」「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」

がヒットしていました。

 

私も意外に感じた日本でのBLドラマ大ヒット。

いや、日本のみならずアジア件でも大ヒットしたようです。

 

そして、今回、逆輸入じゃないけど、タイのBLドラマ

「2gether」について書きたいと思います。

 

私が観始めたのは、レンタルDVDが出てからの3月。

いわゆる映像配信サブスクには手を出していないので、気になってはいたけど観られなかったんです。

 

ストーリーも知らないまま、広告に載っている二人のイケメンぶりに観たい欲求がありました。

 

タイのドラマなんて観るのは初めてで、第1話なぞは、

「これ、おもしろいのかな」「でも、タインかわいいし」

と思いながら観ていました。

 

コメディーっぽくする演出か、やたらと効果音が多くて気になっていたけど。。

 

それが今じゃ、6月に公開される映画版まで観たくてしょうがないという始末。

 

「2gether」の続編「still 2gether」も観たんです。

 

そのために、初めてAmazonのレンタルというものを利用しました。

1本220円で48時間観られるというもの。

2回ずつ観ましたよ。。

 

どんだけー

 

ストーリーはマンガみたいな展開なんだけど、

サラワットがこれでもかと意中の相手タインを押しまくって、結果ラブラブイケメンカップルにという、

簡単に表すとこういう内容です。

 

ただ、この二人が、多分日本人にウケる顔立ちというところがポイントだと私は踏んでいます(誰だ?)。

 

いわゆる東南アジア系のお顔立ちじゃないところに、親しみを覚えるのかな。

 

タインはいわゆる「しょうゆ顔」、サラワットは「ソース顔」という、バブル期っぽい死語だが、

この言葉がピッタリくるイケメンなんですね。

 

俳優の彼らの演技も、誇張されておらずに自然で魅せられます。

 

彼ら以外にも男性カップルが3組もいるところもポイント。

 

そして彼らもイケメンが多い。

 

そんなにたくさん集まるかい!と、突っ込みたくもなるけど。。

 

やっぱり、他のカップルも脈がなさそうでも押して押して押しまくる。

 

そして、相手はだんだん受け入れ始める。

 

そういう馴れ初めなんですね。タイってそうなのかな。

 

まだまだ書けることがあるけど、また別に載せます。

 

 

ファン友募集中です!!

知り合いの人がzoom配信に出ていた話

こないだ、知っているアクティビストさんが登壇したミーティングの動画をアーカイブで観た。

彼女はほぼ同い年で、自身の仕事の業界でLGBTQsのための活動を行っている。

 

その動画を視聴していたら、左上の枠に知った顔が。。

私が首都圏暮らししていた頃の元カノさんの友だちだった。

 

彼女は、メンタルヘルスで入院していたときに、パートナーと面会できなかったという話をした。

 

私はすごく驚いた。なぜなら、彼女は精神疾患などとは無関係そうな人柄だったから。

いつも楽しいことをしようと試みたり、人を呼んでパーティーをしたりするような人。LGBTQsに関してもアクティブに働きかけたりしていたし、英語は話せるし、仕事はしっかりしているしで、とにかく私からは縁遠い感じがしていた。

 

けれど、そんな陽気に見えて、人知れず心の苦悩があったのだ。

 

性的マイノリティのメンタルヘルスは、マジョリティよりもよくないというデータはよく目にする。

クローゼットの人言わずもがな、オープンな人だってそれはそれでいつも笑っていられるわけではない。

 

性的マイノリティが故の体調不良かどうかはわからない。

でも、少なからずこのアイデンティティの影響はあるのではないかと思う。

 

こんなことを書いているうちに、さっきタイピングしていた曲の歌詞が思い浮かんだ。

 

 

櫻坂46「思ったよりも寂しくない」

 

” 陽だまりを いつも 探したって そう あまり 意味はないよ

 

だって太陽は動いてるんだ 好きな方に向かって ただ 生きよう ”

 

 

いつも陽が当たっているとは限らない。

人からそう見えていたとしても。

 

ただ、これは言いたいことだが、メンタル不調は自然なことなんだということ。

 

うつ病は「こころの骨折」などと言うけど、心のケガであること。

 

すり傷くらいかもしれないし、結構深い傷かもしれない。

 

あまりそれにあたふたせずに、傷が治るには時間がかかること。

 

あせらず、そう「ただ 生きよう」だと思う。

 

 

大事なことをもう一つ。

 

その動画配信で分かったこと。

そうした、同性のパートナーは親族と認定されないがために、病院から面会を拒否してもいい、病院側が許可しない、という規定はどこにもないらしい。

ということは、違う法律にそう書かれているのだろうか。

どこがこの縛りを決めているのか。

 

この問題は、多くの同性カップルが実際に直面していることのようだ。

頭が硬すぎるし、何を怖がって、何を守ろうとしているんだろう。

HSPの講演会/映画上映会 備忘録

先日、住んでいるところの比較的近くでHSPのイベントが開催され参加してきた。関東地方とはいえ、最近ホットな話題のイベントが、この県内で開催されるのは結構まれ。主催者様方、ありがとうございました。

 

まずはHSP映画上映。HSPの提唱者エレイン・アーロン博士のドキュメンタリー主体の映画だ。日本語字幕で観るには、いまのところこうした上映会で見る他はないとのこと。

まず、この映画作品で最も印象に残ったシーン。それは、男の子(おそらくHSC)が、両親の言い争いの様子を部屋の隅で見ている(これは再現ドラマのようだ)。母親は、HSCの知識があるのか、息子の繊細さを受け入れているようだが、父親のほうはそうではなく、男の子はフットボールなどのスポーツをやるべきだ、といわゆる「男らしさ」を求めている。そんな中、夫婦でセラピーを受け、実は、その父親もHSP(見た目の感じはそうでもない・・)であり、そんな自分が嫌だったのだろう、息子にはそうなって欲しくなくて母親とぶつかっていたのだ。受け入れ難い自分の資質を受け入れることの難しさ。セラピーを受ける前は、私も映像を見ていて、なんてひどい父親だ!と思っていたが、自分自身への葛藤、怒りが根底にあったのだと解ったら涙が出てきてしまった。また、この男の子がもしLGBTQの当事者だったとしたら…、と思うとより辛い気持ちになって観てしまっていた。

LGBTQとHSPを比較してみると、変えられない気質という共通の要素の面で近い反面、とんでもなく遠くもある気がする。LGBTQといっても、Tは受け入れざるを得ないのではないかと思われるので、自分のLという属性をとって考える。「HSP」という位置づけはすんなり受け入れられ、むしろ救われたような気分になった。これまでは、自分が取るに足りない人間、社会不適合者、内気で人見知り、雑談も苦手だし、人付き合いも苦手。友達も少ないし、1人で過ごすのが落ち着くし好き。すべて、その反対の人間になりたいと思っていた。でも、他にも同じような人がたくさんいて、もしかしたらHSPだったのかな、と思える、過去に出会った人たちも思い出され、仲間意識も出てくる。脳がパカッと開いて、新しい空気に触れたような感覚だった。

しかし、Lについては、ずっと認めたくないと頑なに否定していた。そんなんじゃない、と思っていた。世の中にも割といるんだ、ということがデータで分かった頃にはもう受け入れていたが、それ以前はこんなに少ない、珍しい人物、人に言ったら眉をひそまれるような存在だなんて、絶対に認めたくなかった。

当事者であることをすんなり受け入れられるかどうかが、まるっきり違うところが、遠くにあるという所以だ。社会の目、のせいかもしれない。社会の目とは、人の目。私自身が否定していたわけだから、他の人たちもそうだろう、と感じてしまう。そうじゃない人もいるかもしれないが、大多数は驚くことだと思う。だから、「自分はHSPだと”カミングアウト”」などと書かれているものには違和感を感じる。それがカミングアウトか?って。”カミングアウト”という言葉、昨今よく使われるが、今だにドキッとする言葉だ。おそらくLGBTQ当事者は敏感に反応する言葉だと思う。

話は逸れたが、LGBTQもHSPと同等くらいの属性になって欲しいなと思う。

 

そして講演会。スピーカーはHSPの子を持つ、ご自身もHSPである女性で、各地で講演をして周っていらっしゃる。声や話し方のトーン、スピードがとても心地よいかたで、ずっとお話を聴いていても飽きないかもしれないと思った。そうした音に対する敏感さもHSP当事者さんゆえに考えられていると感じた。そして、講演の中で印象深かったことを箇条書きで書き出す。

 

HSPは遺伝であることが多い

・HSSは、アクセルとブレーキを同時に踏んでしまっていて、途中でしんどくなるタイプ

・「清水(きよみず)」という単位(後述)

・飲み会の2次会をうまく断る方法(後述)

・HSCは、精神年齢が高いとされている。+5〜8歳くらい。

・幸せというのは、脳や心で感じるというよりも、内臓から感じる(!)

 

などなど。きちんとレジュメも配布されていて、「学習」という面もあった講演だった。

「清水」というのは、”3清水”、”100清水”などと使うらしい。スピーカーさんの周囲のHSPさん仲間が使っているそうだ。どう使うかというと、「清水(きよみず)』とは、「清水の舞台から飛び降りる」の「清水」。どれくらいの覚悟、勇気がいるかを数字で表しているとのこと。こういう細かい単位を作るというのは面白い。人間が違えば、その清水の舞台の高さ概念も違うだろうし、測れない量的なものを「見える化」すると、よりその人のこの感覚が掴みやすいだろう。”100キヨミズ”は相当な勇気なのだろう。

そして、2次会をうまく断る方法。その飲み会参加者の中で、1人でも信頼できる人にあらかじめこう言っておくのだ。「途中で帰るかも」。「かも」が重要。もしかしたら盛り上がって行くかもしれないし、というのを匂わせておく。2次会に行く気満々な人に、飲む前から行かない、と言ってしまうと、なんだかテンション下げてしまいそうだから。そう言っておいて、いいタイミングでスッといなくなる。それが一番いい方法だそうだ。2次会って、行きたい人だけでいいじゃん、と思うんだがね。

 

ということで、濃度の高い半日を過ごせた。ただ、あんまりHSPを意識しすぎるのもよくないと思う。これまでの自分をなかったことにしないでやっぱり土台にして生きて行くんだと心した。

「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき」鑑賞備忘録

この映画を知るきっかけとなったのは、NHKETV特集かな?ドキュメンタリー作品だった。のちに知ることになったのは、TV版は映画の短縮版だったこと。しかも、9年間も性的マイノリティの1人を追い続けている作品は、私は他に知らない。映画としての作品も観なければ!と思っていた矢先、近くのミニシアターで上映されるとのことで、早速行ってきた。

 

まず、私がこの作品の主人公の言葉で最も印象深く、あ、私も!と思った言葉が、まさにこのタイトルの”「ゼロ」に戻る”という言葉だった。

主人公は、生まれたときの体の性別が女性で、心は男性という性同一性障害(性別違和)の中学生。学校や社会で様々な問題にぶつかる。

”自分は今マイナスのところにいる。みんなはゼロからプラスに行くけど、自分はまずゼロに戻らなきゃいけない”

 

私の中高時代もそんな感じだった。

みんなは好きな人がいて、告白するかしないか、バレンタインにチョコを渡すのかどうするかの世界で生きている。

私は、好きな人すら友達に言えない。その時点でもう、スタートラインが違うのだ。出遅れた青春時代?みたいな。

この”ギョーカイ”の人はわかると言ってくれるかもしれないが、恋愛デビューは20歳過ぎの人も多いと思う。だから、20代半ばでようやく中高時代の遅れを取り戻すかのように、恋愛に勤しむこともよくあると思う。”ギョーカイ”の人で、初めて会った人に、なんとなく「好きかも」みたいな、錯覚のような恋をしたり、相手から「好き」と言われて、やっぱり「あ、私も、かも…」みたいな、本心かどうかも分からない関係を築いたり……。

このドキュメンタリー映画の主人公は、恋愛をしたのだろうか。作品の中では語られていないが、おそらくいたに違いない。

 

そして、性別適合手術を終え、戸籍上も男性となった主人公が辿り着く性別が、Xジェンダー、ということ。この展開に惹きつけられて、NHKの番組を観た後に、思わず友達にこの番組の話をした。なんだこの、丸く収まらない感じは!

Xジェンダーというカテゴリー?ができて、とても救われた人は少なくないと思う。私も、どちらかといえば中性的だと思うからだ。性自認は女性で、生まれた時の性も女性の私だが、胸は豊満じゃなくてよかったーと思う。もし豊満だったら、なんとかして(サラシ巻いたかも)ペッタンコにしたに違いない。胸もお尻もペッタンコが自分らしいと思う。

これもXジェンダーと言われればそうかもしれないけど、性別欄には迷いなく「女性」に○を付けるし、男に間違われたくないから、そうじゃないと思う。

 

LGBTQの一員である私だが、本当に他の人の性自認なんかはわからないものだ。「LGBTQ当事者だから」と、知った気になってはいけないとこのドキュメンタリーを観てそう思った。個のストーリーは、100人いれば100通りあると思う。会ったこともない主人公の記録を見ていて、目が覚めた気分だった。